柳の厳しい審美眼によって取捨された日本民藝館のコレクションは、日本および海外諸国の陶磁器、織物、染物、木漆工、絵画、金工、石工、竹工、紙工、革工、硝子、彫刻、編組品など各分野にわたり、約1万7千点を数える。

1951年、大分県小鹿田窯にて
1951年、大分県小鹿田窯にて

とくに、李朝工芸品(陶磁器、木漆工、金工、石工、絵画など)、沖縄の古陶および染織、大津絵、船箪笥、古丹波焼、古伊万里焼、日本各地の民窯、東北地方の染織(被衣[かずき]、刺子着など)、アイヌ衣裳およびアイヌ玉、イギリス古陶(スリップウェア)などは、その質の高いことで広く知られている。また柳宗悦と美の認識を同じくする多くの近代工芸作家たちの作品も数多く所蔵されている。浜田庄司(陶器)、河井寛次郎(陶器)、バーナード・リーチ(陶器・絵画)、棟方志功(版画)、芹沢_介(染色)といった作家たちであるが、彼らは民藝品のもつ「用の美」、「無心の美」、「健康の美」を理想に掲げ、ここを拠点として自らの新しい表現の道を拓いていった。
彼らはのちに、人間国宝や文化勲章を受けるなど高い評価を受けるようになるが、日本の造形史上、これだけ多くのすぐれた作家たちが、ほぼ時期を同じくしてひとつのグループのなかから輩出されたことはまったく稀有な現象といえよう。

ところで、日本民藝館の陳列についてひと言ふれなくてはならないであろう。柳にとって陳列とは、非常に大切な仕事であり、最も意をそそいだ創作活動のひとつでもあった。
柳は陳列について、次のように述べている。
「民藝館は単なる陳列場ではない。従って列[なら]べ方も事情の許す限り物の美しさを生かすように意を注いである。品物は置き方や列べる棚や、背景の色合や、光線の取り方によって少なからぬ影響を受ける。陳列はそれ自身一つの技芸であり創作であって、出来得るなら民藝館全体が一つの作物となるように育てたいと思う」

この陳列に対する柳の思想は、今日まで脈々と受け継がれてきており、民藝品のもつ美しさを引き出す有効な手段となっている。 展示替えは3ヶ月にごとに行われ、企画展を中心に毎回500点ほどの館蔵品を一般公開している。

日本民藝館には、企画展の会場となる大展示室と、1、2階あわせて7つの小展示室があり、展示室は主として次のように分かれている。1階は、日本古陶磁、外国諸工芸、日本の染織品を紹介する部屋。2階には、李朝工芸、日本の木漆工、日本の絵画、および日本民藝館同人作家の作品を紹介する部屋があり、また、この他に書籍、絵はがきをはじめ焼物などの各種工芸品を販売するミュージアム・ショップもある。

なお、日本民藝館には見学者順路はとくにない。自分のペースで、展覧会場を巡ってほしいとの気持ちからである。また、展示品の説明も「余計な説明で先入観をもってほしくない。直観でものを見てほしい」という理由から、説明書には必要最小限の事項しか書かれていない。何をどのように見るか。またどのように感じるかはすべて来館者に任されているのである。